トランスジェンダー歌手列伝

ピート・バーンズ 【デッド・オア・アライヴ】

トランスジェンダー歌手列伝1

ピート・バーンズ 【デッド・オア・アライヴ】

Pete Burns(1959~2016)

ピート・バーンズ写真集





MTVにおいて1980年代に登場したトランスジェンダーなシンガー達。その中で双璧をなしたのが、デッド・オア・アライヴのピート・バーンズと、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージでした。


デッド・オア・アライヴの最も有名な曲が、1985年全英No.1ヒットになった「ユー・スピン・ミー・ラウンド」です(ギターはワーグナーの「ワルキューレの騎行」からの引用)。このビデオクリップのピート・バーンズの存在感は、三つの理由で強烈でした。

その1.柳生十兵衛や独眼竜正宗のような眼帯
その2.左手を腰において、右手の人差し指で「おわかり」ポーズをするくどさ
その3.「少林寺武者房」(1984)のオープニングの千手観音の再現

そこに最も本気だったころのストック・エイトキン・ウォーターマンのユーロビートと、ピートのトランスジェンダーな外見とは裏腹の野太いヴォーカルが被さるのです。その異様な世界観が、ボーイ・ジョージと世界中を虜にしたのでした(日本では1987年に大ヒットする)。




そんなピート・バーンズが、2016年10月23日に心不全で亡くなりました。まだ57歳という若さでした。

イギリスのリバプールに、元貴族であり女優志願だったドイツ系ユダヤ人の母親とイギリス人の父親の間に労働者階級の息子として生まれる。父親は、連合軍の兵士であり、母親はユダヤ人としてナチスからウィーンに逃げてきました。母親は、美人だったが、イギリスの労働者階級の生活に馴染めず、アルコール中毒と精神疾患を患うことになります。そして、そんな母親の面倒を、幼少期のピートが一人でみていたのでした。

10代にリバプールのレコード店で働きながら、バンド活動を始め、髪を染め、眉毛を剃り、メイクをして女装のようなファッションをし、やがて登校拒否になります。学校を中退し、リバプールの美容院で働き、先輩の美容師リン・コレットと出会い、そのファッションに感化されます。

1980年、デッド・オア・アライヴとしてメジャー・デビューを果たし、同年リンと結婚します(2006年離婚)。



1985年のインタビューにてボーイ・ジョージについて聞かれる。











ピート・バーンズは、ヴィヴィアン・ウエストウッドが大好きでした。衣装・メイク・ヘアスタイル・振り付けは全て自分たちで考えていました。1985年アルバム『ユースクエイク』の大ヒットにより、押しも押されぬ大スターになるが、この頃から、容姿に対するコンプレックスを克服するために、美容整形を始める。そして、38歳のからはじめた唇に打ったジェルが原因で、43歳の時に、顔面中に肉芽腫が出来、生死の境を彷徨うことになる。

そして、治療費の捻出のため、2億6000万円の豪邸も売り払い、過去の楽曲の著作権を全て売り払う。ロンドンでレストランのウエイターをしていた10歳年下のマイケル・シンプソンという男性と交際の末、2007年、同性婚をあげる。しかし、ピートは、2014年12月破産宣告を受けていた。

ピート・バーンズ写真集

関連記事

  1. ボーイ・ジョージ 【カルチャー・クラブ】
  2. マリリン 【1983年のマリリン】

ファッションモデル一覧

  1. リア・T伝説

PAGE TOP