性転換の歴史

コクシネル 〝てんとう虫〟という名のショーダンサー

性転換の歴史4

コクシネル 〝てんとう虫〟という名のショーダンサー

Coccinelle(1931~2006)

コクシネル写真集





フランス人として初めて性転換手術を受けた人。コクシネルこと、ジャック・シャルル・デュフレノアは、1931年に生まれました。ある意味、クリスティーン・ジョーゲンセンが「第三の性」の〝知性〟の面であるならば、彼女は、「第三の性」の〝エンターテイメント〟の面を示しています。

日本において、1990年代における性同一性障害者の職業は、ショーダンサーというイメージとなり、00年代に至り、ニューハーフAV及び風俗の氾濫によりすっかり性同一性障害者=風俗というイメージが氾濫して、今に至っています。いつから「第三の性」は、知性を捨て、エンターテイメントを捨て、ただの肉体を売る無能力な存在になり果てたのでしょうか?

1950年代、彼女たちは、大いなる差別の中、生きるために、ある者は密かに肉体を売りながらも、あくまでもメインはエンターテイナーとして、血の滲む様な日々の中、自分のステイタスを高めようとしてきました。そんな時代の代表的なショーダンサーの名をコクシネルと呼びます。コクシネルとは、日本語でてんとう虫の意味です。日本では太陽に向かって飛んでいく虫の意味を持つこの虫は、フランスでは、幸運を呼ぶ虫と言われています。

「私は、男性として生まれ、女性になりたいと望んでいます。でも、それ以上に、てんとう虫のように、私を見ると幸運になれると感じてもらえるような存在になりたいのです」

彼女はそういう願いによって、自分の芸名をコクシネル=てんとう虫と名づけたのでした。



1953年に花売りをしていた母親の紹介により、キャバレー・マダム・アルトゥールでデビューしたコクシネルは、ブルネット・ヘアーである地毛をプラチナ・ブロンドに変え、ただちに「ブリジッド・バルドーに似た女装ダンサー」として人気を博しました。そして、パリの花形キャバレー「カルーセル」(1926年に創業したキャバレーの老舗)に移籍します。1955年ごろ、彼女は念願のシリコンの豊胸手術を受けました。

ビュルー博士が自然が生み出した失敗を正してくれました。そして、私は本当の女性になりました。手術のあと、博士は言いました。〝ボンジュール・マドモワゼル〟と、その時、私は手術が成功に終わったことを知り、涙を流しました。

コクシネル

そして、1958年にモロッコのカサブランカにあるパルク診療所にて、陰茎反転法を確立したジョルジュ・ビュルー博士(1910-1987)の執刀を受け、性転換を果たしました。彼女の名声により、モロッコは、1980年代まで性転換手術のメッカになりました。1973年にはスタンフォード大学医学部にて、ビュルー博士は、その術法を公開し、陰茎反転法がアメリカをはじめとした世界的に普及することとなりました。


1959年、イタリア映画の父アレッサンドロ・ブラゼッティ監督の夜モノ・ドキュメンタリー『ヨーロッパの夜』に出演。なんと脚本は『世界残酷物語』のグァルティエロ・ヤコペッティが若かりし頃である。



1960年にフランス人のジャーナリスト・フランソワ・ボンネと、合法的に(フランス政府が初めて認めたケース)、フランスのローマ・カソリック教会にて結婚しました。1962年に二人は離婚し、63年にパラグアイ人のダンサー・マリオ・コスタと再婚しました(1977年、彼の死まで)。更にコクシネルは、1996年に再婚します。

1963年と64年の間に7ヶ月間、トランスジェンダーとして初めて、パリのオランピア劇場で公演を行いました。そして、1987年には自伝を発表しました。

2006年10月9日マルセイユで死去。2016年、パリ市内に彼女の名を冠した通りであるプロムナード・コクシネルが誕生しました。世界で初めてトランスジェンダーの名を冠した通りが生まれたのでした。

エディット・ピアフと。

マレーネ・ディートリッヒと。

ジュリエット・グレコと。

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