悲劇のトランスジェンダーたち

テリー・ウィリアムズ 【悲劇のトランスジェンダーたち1】

悲劇のトランスジェンダーたち1

テリー・ウィリアムズ 【ハネムーン殺人事件】

Terri Williams(1941-1976)


1970年代に、トランスジェンダーという存在に対しての一般社会の認識は、まだまだゼロに等しいものでした。そんな時代に生まれた〝トランスジェンダーの悲劇〟があります。

1972年にフランク・フェリスはデトロイトからミシガン州の州都ランシングに移動しました。そして、シリコン注射と女性ホルモンによって女性化していたフランクは名前をテリー・ウィリアムズと名乗るようになりました。1974年に、ゲイ・バーで、フロリダの宝石泥棒がからんだ3人の殺人事件の証人(同性愛者が殺されて川に投げ込まれた)として、フロリダで証言し、犯人は死刑になりました。

この時期、10月に、彼女は、ランシングのミシガン州立大学で公的資金の援助により性転換手術を受けました(ミシガン州で初めての陰茎反転法)。この時、陰茎反転法はまだ新しい性転換手術の技術だったので、地元のテレビ局が、彼女のプライベートを暴き立てるような無分別な取材を行います。そして、テリーは、婚約を破棄されます。私生活をボロボロにされたテリーは、1975年冬、生活を立て直すために、コロラド州・デンバーに引越しします。

デンバーでトップレスダンサーとして働くテリーは、お客として来た、無職のリチャード・ムーア(当時26歳)に会いました。そして、二人は男女の関係になり、1976年5月14日に結婚しました。

すぐに二人はハネムーンとして、テリーの親友の住んでいるランシングに旅行に出かけました。そして、ハネムーン4日目の5月20日に、彼女からの告白で性転換した女性だったことを知り、リチャードは激高し、アイオワ州ニュートンの高速道路の脇でテリーを射殺しました。

ブルーのブランケットと枕で覆われた花柄のブラウスとスラックスを履いたブロンドヘアのテリーの死体が殺害一時間後に発見されました。その脇には彼女がハネムーンに連れて行った2匹の犬(一匹のみ生存)が一緒に見つかりました。




リチャード・ムーアはすぐに逮捕されました。実は、彼は、結婚する少し前まで精神病院に入っていました。しかし、情状酌量はされず、終身刑になりました。一方、テリーの死体を引き受ける人は誰一人いませんでした。

約30年後のムーアの様子がアメリカのTV番組「ロックアップ」で放映されました。その中で彼は、「結婚後、元男性ではないかと疑問を持っていた。アソコがパイプカットした男性器に似ていた」と話しています。ミシガン州立大学で行われた陰茎反転法は、しっかりとした手術だったのでしょうか?テリーは、ムーアに則され、高速道路の脇で撃たれた時、まったく抵抗することもなく、ただ立ち尽くしていたと回想しています。

ムーアは言います。「最初に教えてもらいたかった」と・・・

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